s コラム「旧雨今雨」:ハラスメントについて考える | 国際社会経済研究所
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ハラスメントを考える    2012年5月7日

国際社会経済研究所 主幹研究員 南  稔



今年の初めに有識者らで構成された厚生労働省の円卓会議が、職場のパワーハラスメント(略してパワハラ)に対する報告書をまとめ、それを受けて政府として初めてパワハラについての「定義」を打ち出した。この中で大変気になる点があったので、それについて記してみたい。パワハラの概念や適用範囲は時代背景や価値観の推移に応じて見直していくことは当然であり、そのこと自体に異存はない。しかし、今回定義された内容で、部下からの上司への嫌がらせもパワハラということになっている。これにはどうも納得がいかない。そもそもパワハラのパワーの源泉は、力の強さでも年齢でも性差でもなく、職場における職務権限のみによって規定された上司が部下に対して行使し得る命令権に根拠がある。上司は部下の人事権および評価権限を有するが故に、部下は上司のある種理不尽な振る舞いに対し、反論しにくくなっている。すなわち、明確に部下は弱い立場にいる。だからこそ、パワハラ防止を組織的に行っていくことに意味がある。しからば、部下からの上司への嫌がらせは、いったいどういう権限根拠があって部下が上司を苛めるのか?そんなものは当然存在しない。これは、子供社会含めて組織(ある一定の人数が集まる集団)では、どこにでも起こり得る単なるイジメであろう。イジメは決して肯定されるべきものではなく、なくしていく努力をしていくことは当然である。しかし、それはその場の構成員が自主的にみんなで良い組織を創っていくために努力して克服すべき種類の問題である。それを政府という公的機関がうやうやしく定義に加え、会社にそれを撲滅するための組織的活動を要請するという事態にでもなるとすれば、如何なものだろうかと言いたくなる。子供の喧嘩に親が口出しするとろくなことがないように、パワハラの公的定義も明示的にパワーを持った人に限るべきだと考える次第である。




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