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哀愁の街、巴里の白

主幹研究員 加藤竹彦

 画家の人生というのは、一般人に比べて劇的なケースが多いものだが、ユトリロほど数奇という言葉が相応しい画家はいないのではないかと思う。「漆喰の白」で有名なモーリス・ユトリロはエコール・ド・パリの一人として知られ、今日その作品は数億円以上の高値で取引されることだろう。だが、彼の一生を振り返ると、なんともやりきれない気持ちになる。

 ユトリロについては母親の話から始めなければならない。母親のシュザンヌ・ヴァラドンは、ルノアール、ロートレックなどの絵のモデルとして活躍後、ドガに絵を学んで画家になる。エリック・サティとの浮名も流した美人である。ユトリロの暮らしも一見華やかそうだが、母から絵を学ぶことはない。ヴァラドン16歳のときの私生児として誕生。父親はルノワールという説もある。2歳でてんかんの発作を起こし、8歳には精神薄弱と診断された。酒にだらしない祖母に預けられ、20歳までにアルコール依存症で精神病院の入退院を繰り返すようになった。絵は治療のために始めたのであり、まったくの独学である。

 7歳のとき、スペイン人のミゲル・ユトリロ・イ・モルリウスが、彼を自分の息子として認知し、モーリス・ヴァラドンからモーリス・ユトリロとなるが、生涯その法律上の父親と会うことはなかった。
 12歳の頃から水彩画を始める。数少ない友人といえる退職警官のセザール・ゲイはモン・スミ通り33番地に「ラ・ベル・ガブリエル」という居酒屋を所有していた。憧れの女将マリ・ヴィジエが営むその店の奥で彼はよく描いたが、絵を店に飾ると、後に「白の時代」と呼ばれる独特の画風が次第に評判になる。23歳になった頃、2歳年下で画家志望のアンドレ・ユッテルと懇意になり、モンマルトルに共に棲み始める。しかしその後ユッテルは画家を諦め、なんと母親のヴァラドンと結婚し、ユトリロの絵を売って生活の糧とするのである。 

 酒浸りの生活の中で、同じくアルコール依存症だったモジリアニと出会い、共に作品を描いては飲み、暴れた。警察の世話になり、精神病院に送られ、監禁を余儀なくされることも度々であった。
 てんかんの後遺症もあり、感情の揺れが激しく、それをまぎらわせるために酒に酔い、暴れ、意識を失う。人がいると絵が描けない。孤独な日々が続いたが、絵の人気は高まり、勲章を授与されもした。49歳で洗礼を受け、52歳で12歳年上の未亡人と結婚。一説には母の面影を妻にみていたという。画風は「白の時代」から「色彩の時代」に移った。晩年は完成度にこだわり同じ図柄を、四季をまたいで何百枚も描き続けた。

 哀愁を帯びた街並みを古典的な筆致で描くその作品は、決して上手いとは言い難いが、街路と建物の輪郭が構成する幾何学的な構図に安らぎを覚える。そして印象的に目に飛び込んでくるのは「ユトリロの白」。

 ユトリロと母ヴァラドンとユッテルが3人で写っている写真がある。悲壮感はない。母が72歳で死去した際の言葉が残っている。「シュザンヌ・ヴァラドンと呼ぶわが母は、気高く、美しく、善良な女である」。彼も71歳でこの世を去る。

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