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ダムナティオ・メモリアエ

 第62回江戸川乱歩賞を受賞した佐藤究著「QJKJQ」は、ダムナティオ・メモリアエ(名声の破壊とか記憶の断罪などの意)が主要なモチーフとなっている。面白い作品だがここではその内容に触れず、ダムナティオ・メモリアエにまつわる話を取り上げる。

 古代ローマ時代、元老院がその支配体制に反逆した人物(皇帝など)に対して行った措置で、一切の存在が無かったこととして、自らが遺したあらゆる痕跡を抹消されることを指す。古代ローマでは29人がダムナティオ・メモリアエの対象に問われ、少なくとも2人の皇帝がその刑を課されている。古代ローマ以降でも同じように存在を抹消されたケースもあり、ソ連のトロツキーや中国の林彪など、時の独裁者と対立した政敵が多い。公文書や公開写真からその名前や姿がひっそりと削除されてしまう。

 古代ローマ時代に抹消されているのはドミティアヌス帝とゲタ帝である。前者は元老院の逆鱗に触れたことによって、また後者は兄のカラカラ帝と同時に皇帝となり、諍いからカラカラ帝によって殺害され、その命令によって行われた。

 ドミティアヌス帝はユダヤ人やキリスト教徒を迫害したことで悪名高い。綱紀粛正に励んだのに、自らは漁色家とも、次期皇帝との男色関係があったとも伝えられている(ただこれは後世の創作との説もある)。趣味は鉄筆でハエを突き刺すこと。また「ドミティアヌス帝の晩餐会」という逸話では、招待客は漆黒の調度品の部屋に各自の墓石が置かれた席に座らせられ、幽霊に扮した少年奴隷が給仕、食事中はずっと皇帝から殺戮に関する話を聞かされる。

 意にそぐわぬ者を次々と処刑、それによる暗殺への猜疑心から常に背後まで見られるよう宮殿内の柱を鏡のように磨かせたとも。結果、最期は側近の暗殺であり、元老院から記憶の抹消に処された。

 もう一人のゲタ帝は、実の兄であるカラカラ帝から徹底的に排除された。両帝共に描かれていた通貨や絵画からは全てゲタ帝の姿だけが削り取られ、胸像は打ち壊された。

 カラカラ帝の暴政は歴史家エドワード・ギボンをして、その治世を「人類共通の敵」とまで言わしめた。属州だったアレキサンドリアにおいて、3日間で2万人の市民を虐殺。また、巨費を投じて街中に自分の別荘や劇場を建て、資金が足りなくなると裕福な商人や貴族に言いがかりをつけて財産を没収したり、法外な重税を強いたりといった行動に出た、とギボンは辛辣に批判している。結局は彼も暗殺されるのだが、一説には遠征時に放尿しているところを近衛兵によって後ろから刺されたという。

 実はダムナティオ・メモリアエを受けた皇帝はもう一人いる。五賢帝の最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの息子で皇帝位を世襲したコンモドゥスであり、その原因は、愛妾を含めた元老院議員の処刑リストを、少年の男娼と寝室で寝ている間に当の愛妾にうっかり見られてしまい、逆に暗殺されて不興を買ってしまったからだった。ローマに現存するコンスタンティヌスの凱旋門のレリーフにはもともとコンモドゥス帝の姿も刻まれていたはずが、きれいに削り取られてしまっている。ただし彼は後のセウェルス帝によって名誉を回復し、神として神殿に祀られている。

 ドミティアヌス帝やカラカラ帝は歴史上、極悪非道な暴君として名を残しているが、さて人類の歴史から存在自体を消されることとどちらがより不名誉であろうか。

主幹研究員 加藤竹彦

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