入院体験からみた医療改革 2003年11月10日

45年ぶりに、ここ2ヶ月の間に2回の入院生活を送った。最初は大学病院に8日間、2回目は近所の小規模な総合病院に10日間の入院。最近の医療現場を知るのに大変勉強になった。
先ず、45年前の大学病院と今昔の感 −設備、スタッフの数、コンピュータ化されたシステム、それに患者の数など半世紀前の大学病院の面影はない。入院するとID番号が手首にはめられる。食事以外は、投薬、点滴、注射は勿論、検温の時でもID番号の確認が看護師(今年の4月から看護婦とは呼ばない)によりなされる。医療ミスをなくすための処置として数年前から行われているようだ。
教授の回診は、週1回。大名行列は今も昔も変わらないが、この病院では主治医のほか2名(1名は研修医と思われる)が入院患者1人への医療行為にあたる。教授の質問は、この研修医に浴びせられる。私の場合は、たまたま、その教授に初診を受けたのだが、これまで別の病院で種々の検査を受けたが診断がつかなかったものが、この大先生、検査データもなく、初診で病巣を診断した。名医と迷医の違いを痛感した。診療報酬制度では、名医も迷医も同じ点数。休日でも夜遅くでも、研修医が病床に診療に来る。彼らは、休日はほとんどなく、月収は10万円前後と聞いている。一方、主治医は、外来も担当しているが、1日50人以上の患者を診察しているという。
看護師の質もかなり良くなってきている。かつては、大病院でも准看護婦が中心であったが、大学の看護学部出身の人が増えてきている。しかし、医療従事者の数は、米国などの先進諸国に比べて5分の1程度で、まだまだ、「きつい、汚い、給料安い」が日本の医療の現実であるといえよう。
センター・オブ・エクセレンスの大学病院には難しい病気の人が送られてくる。専門分野が細分化されていることもあり、1科当たりの病床数は20〜30床。しかも、研修医の育成システムは最初から細分化された専門科に入れられる。忙しい上に、トータルに医療を行うことができないため、日本の医療の知識水準は必ずしも高くないといわれている。
大学病院を退院して、1ヶ月もたたないうちに、家の近くの小さな総合病院に別の病気で入院した。ここでは、未だ「看護婦」を「看護師」と呼ぶと怪訝な顔をされる。看護師も不足気味、最近に認可された派遣看護師も働いている。医師の殆どは、大学の医局から派遣されている若い医師が多いが、自分の大学で習ってきたと思われる治療方針を押し付けてくる。私の体質との係わりを考慮しない、質問しても答えられない。しかも、この病院には同じ大学から私の体質に関係する専門医が来ているのに、彼らと相談しようともしない。私の不安が的中し、病気は別の病気を誘発する結果になり、入院期間は延び、医療費はかさむ。授薬が病気を呼ぶことも多い。日本の平均入院期間は米国の約5倍。
規制改革で、医療問題にメスが入りつつあるが、医師会の反対もあり遅々として進まない。医療機関を含めた株式会社化も重要問題として議論されているが、先ずは医局制度を含めた医師の育成システムを抜本的に考え直す必要がある。このままでの状況が続けば、医療費だけが上がり、医療水準は上がらないとの危惧を強めたこの2ヶ月であった。
以上