経団連規制改革部会長を退任するにあたって 2005年6月30日

去る5月の日本経団連総会を機に、規制改革部会長の職を退任した。2000年4月政府の規制改革委員に急遽任命され、1年間委員としての活動、その後日本経団連規制改革部会長を4年間勤めた。政府の規制改革委員会(その前は規制緩和委員会)はその後、総合規制改革会議、規制改革・民間開放会議と名称を変えるとともに、会議の性格、法的位置付けも変えて来ている。小泉内閣になってから改革のテンポは加速しているように思える。
私は規制改革委員会の委員に任命された頃は、法律に規定されている規制 (現在でも11,000件ある)を(1)経済的規制は原則自由(撤廃)(2)社会的規制は公正、公平の観点から見直す の原則に基づき、規制の見直しを行っていた。規制は細部に宿るので、必要不可欠の作業ではあるが、1つ1つの案件に入り込み全体を見失いがちであった。その上、法律の改廃は役人が行うので、委員とは対立関係になり、法律の改正は遅々として進まなかった。省庁にまたがる案件は勿論のこと、局を異にする案件は討論の場にものぼらない。本来このような改正は、役人の仕事ではないか、我々民間人は何故こんなことをしなければならないのかと時々疑問を持ちながらも、知らない世界のことで興味を持ち、役所との折衝にあたっていた。規制改革委員会は、隅々私が委員に就任した1年後、委員会の権限位置付けの見直しの時期でもあり会議は統合規制改革会議と名称を変えるとともに勧告権を有する委員会となり、内閣府に位置付けられた。委員会の改組でこの活動から無罪放免されホッとしたが、経団連から規制改革部会を新設するので、部会長への就任を要請された。
規制改革委員としての活動は物足りなさを感じていたので即座に就任を許諾した。この任務の第一は会員からの要望(毎年平均300〜400件)を取りまとめ、政府の委員会に提案(建議)することであり、このこと自体は重要なことであるが、1つ1つの案件を潰していると大きな道を見失ってしまう。日本は戦後50年以上経ち豊かな国になった。その間経済的にも社会的にも国際的にも環境が大きく変化した。会員からの規制改革要望をみていると現状の法律がこの変化に対応できていないのが要望項目として提案されている。又日本はその間官僚国家になってしまった。何事も官僚(特に中央官僚)にお伺いを立てないと動かない仕組みが出来上がっていた。更に悪いことには、自己の既得権益を守るために団体をつくり、官僚と結びついてもいる。これを改革すべきは政治の領域であるが、政治家は選挙票の関係もあり、結びつくことあっても破壊することなど難しい。特に改革が進まない社会的規制分野(教育、農業、医療など)には日教組、医師会、農業団体などにが所謂抵抗勢力として改革の推進に立ちはだかる。
小泉首相が総理に就任した時に、「自民党をブチ壊す」を息巻いたが、日本の既得権益を皆が墨守しようとしている八方塞がりの状況を打破するにはこの程度のことを云わないと世の中は動かないと思う。 そこで経団連では3年前「規制改革基本法」を設定し、歯止めをつくっておき横断的に業法の見直しを提案した。理事会の承認を得て、各方面に建議したが、先ず自民党から問題ありとの声が出た。一挙に業法の見直しをはかったら、混乱が起ると云う。この方向で、政治家の智恵でこのプログラム化をはかろうと思っていたが、業法の見直しは箸にも棒にもかからず、日の目を見なかった。
一方、政府の方は構造改革特区構想を出してきた。全国的規模では暗礁に上げ進展しないものを、地域を限定し例外的に認め、うまくいったら横展開しようとするものである。ボトムアップスタイルの改革の推進である。教育、農業、観光、地域活性化など鴻池担当大臣のリーダーシップもあり、この構想は具体的な提案も数多くあり具体化された。成功したと云えよう。
また昨年から「市場化テスト」と見慣れない言葉が登場した。小泉総理の@民でできるものは民で A地方でできるものは地方で の基本方針に基づくもので公務員がやらなくても民間でできる仕事(例えばハローワーク、社会保険庁の仕事など)には官民競争入札制度を設け、所謂官製市場に市場原理の風を当て、民の方が生産性が高く、品質がよければ民に移転して行おうとするものである。民の積極的提案を期待する。
改革の道は、細道からやや広い道につながりつつあるが、問題はこれからでどこに向かって幹線道路をつくるかが問題になる。細かい規制改革の背後には構造改革(新しい時代に合った社会システムの構築)のビジョンが必要である。
住みよい社会をつくることは大目標であることは間違いないが、問題は方法論、手順にある、八方塞がりの状況下では、市場原理主義に軸足をおいて改革を進むべきであるが、市場は自由、透明、公正なものにつくり上げても暴力的なところがある。市場競争は勝者と敗者を峻別する。敗者が何回も挑戦できる仕組みが必要である。セイフティネットを考えた上での市場主義の導入が必要と考える。
以上