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稀代の軍師は直針で魚を釣る

主幹研究員 加藤竹彦

太公望は釣り人の代名詞。その謂われは、渭水(いすい)という川で太公望が釣りをしながら、周の文王に声をかけられ、語らううちに王から「吾が太公(文王の祖父)が待ち望んでいた人物である」と評された故事に由来する。中国陝西省宝鶏には太公望が釣りをしたという釣魚台(北京にある迎賓館とは別物)があり、観光地となっている。

彼は軍師として歴史に名をとどめている。「六韜」は、後年、彼が文王に指南するという設定でまとめられた中国の代表的な兵法書である。ちなみに「虎の巻」の語源は、六つの巻のうちの「虎韜」に由来している。

彼は本名を呂尚といい、司馬遷の「史記」にその名が登場する。しかし歴史上重要な人物にも拘らず、出自と経歴は数々の伝説に包まれて実態がつかめていない。それもそのはず、彼が活躍したのは紀元前11世紀頃のこと。日本はまだ弥生時代にさしかかるかどうかという時期である。もうひとつの代表的な兵法書「孫子」が編まれるのは、呂尚から時代が下ること五百年後、軍師諸葛孔明が生まれるのはそれからさらに五百年を経る。

彼は周の軍師として文王を助け、その子武王を補佐し、殷の進攻を防いだ。殷の王である帝辛を牧野の戦いで打ち破り、軍功によって営丘(現在の山東省淄博市臨淄区)を中心とする斉の地に封ぜられる。斉では現地の風俗にあわせて政治を簡素化し、この地方を安定させた。

斉はその後も領土を拡大し、春秋時代に入る頃には東の強国となった。斉は海に面していることから塩の生産が行われ、また鉄の産出地でもあったため、大いに富み栄えた。
太公望にまつわる逸話として「覆水盆に返らず」がある。これは、彼が斉国に封じられたとき、昔別れた妻がよりを戻そうとしたが拒絶した際のたとえである。

さて、タイトルについて。太公望はとても権謀術数に長けていたとされるが、文王に見出されるのは彼が80歳を過ぎてからのことだった。それまでは釣りをしながら各地を放浪していた。彼の祖先は飲食業で生計を立てていたとも、屠殺人であったとも言われている。

釣りをしていてたまたま文王が通りがかった印象を受けるが、実はこの機会をずっと待ち受けていたようである。そのときの釣り針は曲がりのない、真っ直ぐなもので、釣り糸は水面に届いていなかった、という言い伝えがある。
そんな釣り針で何が釣れるのか。結果はご覧のとおり。彼は大臣に任ぜられ、後に一国の王となった。没時には100歳を超えていたという。

なんとも、悠久の時を感じる話でした。

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