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始めに言葉ありき

主幹研究員 加藤竹彦

 この聖書の文句の解釈は、言葉とはキリストのことだとする説が有力だが、人間の根本は言葉にあると考えるのもなかなか意味深い気もする。

 1990年当時の「科学の最難問」は言語の起源の謎だそうである。パリ言語学協会が1866年にこの主題に関する議論を禁止して以来、今もその影響が続いており、解明が進んでいない。言語学の世界的権威ノーム・チョムスキーは、約10万年前に言語機能の突然変異が瞬間的に、一度きり、霊長類の一個体に起きたと主張する。これは「不連続性理論」といわれ、ある日突然、言語が生まれたとする説である。それに対し、言語は複雑なので何もない所から急に完全な形で現れることは想像できない、と考えるのが「連続性理論」だ。漸進的な方法で発展したに違いない、との妥当な見方で、ジェスチャーや唄う能力から発展したものだとする説だ。プープー説(思わず出た感情表現から派生)、ワンワン説(鳴き声から動物に関する語が誕生)、ドンドン説(雷など音響から自然物に関する語が誕生)、エイヤコーラ説(掛け声から行動に関する語が誕生)などがある。「言語が自然の音、他の動物の鳴き声、ヒト自身の本能的な叫び声を記号やジェスチャーの助けを借りつつ模倣・改良したものに起源を負っていることは疑いえない」とはダーウィンの言葉である。

 言語は歴史的な痕跡が残らないため、初期の人類の化石を調査し、言語使用に対する肉体的な適応の痕跡を探すというアプローチや、FOXP2というヒトの遺伝子が言語障害と関連性があることがわかっていることから、絶滅した人類の遺伝子と比較するといったアプローチもある。

 霊長類以外の動物には、喉頭の解剖学的構造からしてヒトが出しているような多彩な音を出すことはできない。発声の観点からは、350万年前のアウストラロピテクスにおいて発達した二足歩行という特質が頭蓋骨に変化をもたらし、声道をよりL字形にしたと信じている学者もいる。頸部の比較的下の方に位置する声道や喉頭といった構造はヒトが作り出す多くの音声、特に母音を作るうえでの必須条件である。

 サルがサルの鳴き声を聞くときに使っている脳の部位はヒトがヒトの発話を聞くときの部位と同じだという証拠がある。ヴェルヴェット・モンキーは十種の異なる音声を使い分けることで知られる。鳴き声は固体確認にも使われ、子ザルが鳴くと、その母親が子のもとに引き返してくるが、他のヴェルヴェット・モンキーは母ザルが何をするか見るために母ザルの方を向くそうだ。

 60万年から40万年前に生存していたホモ・エルガステルは声を出した初めてのヒト科動物とされている。不思議なことに、40万年前に出現し2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人は現生人類と同じだけの音声を発する能力がありながら、脳は現生人類のように言葉を話すのに要求されるレベルの複雑さに達していなかった、という説がある一方、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも大きな脳(平均約1450cc)を持っており、その脳でかなり複雑な文章を作成することができたが、ネアンデルタール人の喉仏に繋がる神経の様子を分析した結果から『a』『i』『u』をはっきりと発音できず、我々の言語の発声方法とはかなり異なったものであっただろう、というまったく逆の推察もある。

 今日、世界の言語事典といわれるエスノローグには約6800言語が登録されている。ひとつの言語からこれだけの種類に派生したと誰が想像できようか。アイヌ語のように他の言語と共通する祖語を再建できない孤立言語もある。人工知能は言語を発明できるのだろうか。言語の起源は今でも謎が尽きない難問である。

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