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薩摩の小松か、小松の薩摩か

 NHKの大河ドラマ「西郷どん」が佳境を迎えつつある。倒幕に向けて長州藩と薩長同盟を結ぶため、「薩奸会賊」(長州が薩摩や会津を憎む意識)が依然はびこる中で西郷がどのように活躍するのかが見ものである。

 明治維新は、長期にわたる封建制が末期的な政治システムの弊害を起こす一方で、黒船による開国要求や、列強による中国の植民地化を目の当たりにして、市中にも危機意識が高まったことが背景にある。西郷も当初は公武合体や幕藩による合議制を目指しつつも、体制の維持に固執する幕府に見切りをつけて、まったく新しい政治形態を追い求めるようになった。

 西郷の明治維新への貢献はいうまでもない。徳富蘇峰は維新三傑として、西郷、大久保、木戸を挙げている。西郷は今でも絶大な人気を誇っているが、その理由は厚情、度量、人格、果断に優れているからであろうか。寡欲で庶民感情を持ち合わせていたことから、英雄視されるのも頷ける。ただ一方で、大局をみることができない(大隈重信)とか政治力に乏しい(伊藤博文)といった評価もある。身長181センチ、体重101キロという巨漢に、ギョロ目をしていて、普段はおとなしいのに憤慨すると大声をあげて睨みつける、という威圧的な態度もあったようである。

 そんな西郷や大久保を部下に従え、維新の本流を突き進んだのが小松清廉(帯刀)である。若くして薩摩藩の家老職に就き、藩政改革、軍艦の製造、朝廷・幕府・諸藩との連絡や交渉といった要職を任された。御軍役掛、御勝手掛、蒸気船掛、琉球産物掛、唐物取締掛といった任務を次々とこなしながら、年上で一癖も二癖もある西郷と大久保を率い倒幕活動に奔走した、まさにスーパーマン。思うに彼こそが薩摩藩のブレーンにして維新を成功に導いた真の立役者ではなかろうか。

 長州藩士である井上馨や伊藤博文を英国人グラバーに引合わせる手配や、桂小五郎(木戸孝允)を自邸に住まわせるなど、薩長同盟の締結に尽力した。また、薩土盟約や四候会議の調整など、交渉事を一手に引き受けている。さらには、洋学に明るく、藩内に「開成所」を設置し、中濱万次郎・前島密などを講師に招聘することや、坂本竜馬による亀山社中の設立に支援し、自らも株式会社大和交易コンパニーを設立して貿易拡大をはかるなど、彼のまなざしの先には世界があった。新政府では総裁局顧問、徴士参与、外国事務掛、外国官副知官事などを歴任し、多忙を極めていたが、左下腹部の腫瘍が悪化し、病死。わずか34年の生涯を駆け抜けた。

 寛容で雄弁明快な人柄で人望が厚いこと、愛妻家で、当時としては珍しい新婚旅行に義父も連れて出かけたことなど、人間味にもあふれている。幕末に英国の外交員として派遣されていたアーネスト・サトウが、その著書で「私の知っている日本人の中で最も魅力的な人物」「家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的才能があり、態度が人にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた」と云わしめた。凛々しい写真が残されている。

主幹研究員 加藤竹彦

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