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深圳をどう理解しておくのか

― シリコンバレーを超えるのか ―

2018年4月17日、「深圳をどう理解しておくのか―シリコンバレーを超えるのか―」と題して、法政大学地域研究センターの小門弘幸氏が講演を行った。以下は講演内容の抄録。

1.はじめに

   私自身はずっとシリコンバレーにおけるベンチャービジネスやイノベーションの興隆をウォッチしてきたが、近年、ウイチャットというテンセント社のスマホ・アプリを見て刺激を受けたことや、中国人の留学生を集めて研究会を始めたことがきっかけで、深圳に関心を持つようになった。今年2月に訪問の機会を得た。日本人である私が、シリコンバレー的な視点で過去の資料を整理し、現地でのヒアリングを実施したところ、深圳はGDPベース(推計値)で既にシリコンバレーや香港を抜いており、イノベーションが凄まじい勢いで起きていると実感した。「日本はこれからどうするのか?」というのが本日の問題提起だ。そういったことを念頭にお話を聴いていただければと思う。

2. 北上深杭と深圳

   北京、上海、深圳、杭州は、その頭文字をとって「北上深抗」と呼ばれ、中国の4大産業地域となっている。北京には「ソフト」、上海には「金融サービス」、深圳には「モノづくり」を中心とした産業が集積している。杭州は、杭江大学とアリババの本社があることで知られている。杭江大学が中心となって多くのユニコーン企業やベンチャー企業を輩出し、その企業をアリババが買収するという構造が出来あがっている。この4地域には、時価総額が1千億円以上のユニコーン企業も集中して存在している。

   その中で深圳は、ハード・シリコンバレーと呼ばれ、電子産業が世界一発展していると言われている。電子機器産業が成熟し、大企業化と「垂直分裂」が進んでいるのが特徴で、その典型例がファーウェイだ。企業が設計開発から販売まで行う過程で、企業内で統合・系列化するのではなく、基本的には全てを外部の様々な中小企業に発注して作り上げる。

   深圳には、テンセントの本社もある。テンセントは、アリババと並ぶ中国の巨大企業で、物流だけではなく金融機能も合体したサービスの提供を政府に許されている。中国はアメリカを意識し、アリペイ(アリババ)やウイチャットペイ(テンセント)のようなスマホ決済サービスによって世界制覇を狙っているように見える。テンセントの時価総額はアマゾンを超えるだろうと言われている。

3. 米国優位時代の終焉

   中国の大学は、精華ホールディングスやレジェンドホールディングスといったベンチャー企業を自分たちで創業し、アメリカを志向し実践的に取り組んでいる。異業種への参入も活発で、例えばEC企業であるバイドゥは、アポロ計画と称して電動自動車の開発を始めている。中国版Rules of Gamesとも言えるような中国なりの商慣習やルールが確立し、その上できちんと動いているという話を聞いたが、日本人の私に全く理解できない。きちんと検証する必要があるが、私には「信用しないという信用システム」みたいなものが動いているように感じた。

   今年2月にグーグル元CEOのエリック・シュミットが、米国優位は終わったということを言い出した。本当にそうかもしれないと私も思う。彼から見た中国は、官民が完全に一体で動いている。政府は果敢に政策立案をしては実行に移している。アメリカ企業をシャットアウトしている風にも見えることから、米国では大変な危機意識を持ち始めているとの趣旨だ。アリババの本社やグーグルの本社で実際に研修を受けている私のゼミ生は「グーグルでは『AIは中国に抜かれるかもしれない』と言われているのを聞いた」とのことであった。

4. 中国の産業政策・歴史と深圳

   中国のやり方は「法治と人事」と言われる。人の使い方が上手く、法治的、政治的でもある。よく言えば「開発独裁」という言葉が当てはまろう。日本やアメリカとは全く違う民主的ではないやり方で自由主義経済を回しどんどん成長している。トップに習近平がいて、周りの人間がとにかくよく動き回っているというイメージだ。10世紀の宋の時代と同じだ。当時は貴族がおらず、トップ以外は全て平民、全て商人という世界であった。7年前に沖縄出身で東大の歴史学者の与那覇潤氏がそのように話していたことを思い出した。当時の私は「あり得ない」と思ったが、実際に深圳に行ってみると「確かにこれに近い状況だ」と実感した。

 

   中国では、高度成長から新常態(ニューノーマル)の時代へ、日本的に言うと安定成長の時代に入ると、李克強首相が中心となって「次は双創(イノベーション)だ」ということが宣言され、あっという間にベンチャー国家、イノベーション国家へと様変わりした。そのスピードに私は驚いている。深圳でも2013年頃から起業ブームが起こり、ベンチャー投資も盛んで、高級官僚が率先して辞めていったそうだ。早く波に乗った方が勝ちだということで、起業ブームは中間管理職や主任クラスにまで広がり、今や深圳では三分の一が起業家で、ベンチャー企業は5万社、市場は48兆円だそうだ。深圳にはもはや、中国の大学をはじめあらゆる国際研究組織、外資企業など内外の出先機関が集まっている。中村修二教授の事務所もある。シリコンバレー同様に世界中からノーベル賞級の優秀な人材を集め、「ウミガメ」と言って海外から中国人を呼び戻すこともしている。官民が一体となってイノベーションを起こしている。

   深圳の歴史を振り返ると、鄧小平が1979年に輸出特区に指定し、翌1980年には経済特区に指定して、香港に似た新しい経済政策を認めたことが原点となっている。これが1990年代の深圳への電機機器メーカーの進出へとつながる。当時のメーカーは完全な下請けとして労働力を提供するOEMであったが、設計能力を蓄えたメーカーがデザインもするODMへと変わっていった。特区に指定されたことで香港や台湾の優秀な人たちが深圳にやってきて、現地の人たちに刺激を与えた。香港や華僑のアングロサクソン的な考え方や仕組みのようなものが、中国の中でも特に深圳で特異的に発揮されたのではないかと思う。

5. 深圳のデザインハウスの登場

   2000年台に入ると、メーカーはEMS(エレクトロニック・マッチング・サービス)といって少品種大ロットではなく「多品種大ロット」の製造ノウハウを持つようになり、例えばホンハイのような企業が台頭した。当時は多くの日本企業も深圳で操業していたが、2010年台に入ると、いわゆるサムスン・ショックといって人件費が10倍、家賃も10倍へと急騰したことで、大企業が軒並み撤退していった。日本企業も例外ではなかった。

   そこで政府は、工場が撤退した後の深圳の中心街に率先してコ・ワーキングスペースを作るなどインキュベーターの創出に力を入れた。そうした中、次に台頭してきたのがIDH(インディペンデント・デザイン・ハウス)だ。デザインハウスと呼ばれるモノづくり企業が、OEM、ODM、EMSへの変遷の過程で「多品種小ロット」の生産技術を蓄積した中小部品メーカーを束ね、大企業をも利用して、ボトムアップ型で需要に対して即製品を作っていった。いわゆるオープン・イノベーションの仕組みによって、深圳全体がサプライチェーンとして機能するようになった。深圳では、官民が一体となってイノベーション・フェーズに生まれ変わっていった。

6. 深圳のデザインハウスとは

   デザインハウスの社長は、大手企業からスピンオフした人が多いことが特徴だ。メーカーとコネクションのある人が、預託金を積むことで技術ノウハウの提供を大手企業から受ける。その上で、必要な部品は「ふんどしリスト」と呼ばれる部品目録を元に数多の中小企業へ発注し、組み立てるなどして、大手の10分の1ほどの価格で製品を作っていく。ふんどしリストには、部品のスペックや価格、担当者の電話番号などの情報が書いてある。最少受注は1千万円程度から、やり取りは電話のみ、書面による契約や受発注手続きはせず、入金が確認されたらすぐに着手というのが慣行だ。とにかく効率重視で全数検査は行わないため、不良品率は高い。過剰品質を求める日本のメーカーには馴染めないルールだが、深圳ではスピード重視で物事が進んでいる。

7. まとめ ―深圳のイノベーションを支える文化―

   最後に、イノベーションを支えている深圳の文化や今回の訪問の所感について述べ、本日の結びとしたい。

   まず深圳では、客家の勤勉伝統を伝承しており「よく働く」ということ、そして「スピードが早い」という特徴がある。我々の時代は、ドックイヤーとかラットイヤーと呼ばれ「シリコンバレーは世界の7倍のスピード感だ」と言われたものだが、深圳でも「Time is money. Efficiency is life.(時は金なり、効率こそ人生)」と言われている。現地の中堅商社の社長が「我々は、9to9(朝9時から夜9時まで)、724(週7日、24時間)働くから、シリコンバレーの7倍です、いずれシリコンバレーを抜きます!」と自信を持って話していた。

   さらに深圳では、外国人比率が4割と高く、小学校でも英語学習をするなど「教育熱心」で、「よそ者に寛容」という文化もある。深圳大学の先生によると「You are Shinzhener, once you are here.(深圳に来た人は、皆、深圳人)」と言って分け隔てなく仲良くやろうという意識が高いとのことであった。

   深圳では、習近平に対する評価として「建国以来最も安定した状態だ」、「政府とは運命共同体だ」と考えているようであった。我々日本人が高度成長時代に「日本は大丈夫、走ろう!」と思っていたのと全く似た感覚ではないだろうか。私には「習近平まっしぐら」という印象を受けた。これは今回ヒアリングに訪問した方々に限った話ではなかろう。様々な人から「習近平」という話題がたくさん出てきたし、一緒に映っている写真を誇らしげに見せてくれるなどしてくれた。こういったことから「米国に向けて国が一つになっている」というような状況を今回の訪問で実感した。

(文責:吉田絵里香)