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スマートフットウェアORPHEとハードウェアスタートアップの動向について

2018年11月30日、「スマートフットウェアORPHEとハードウェアスタートアップの動向について」と題して、株式会社 no new folk studio CEOの菊川裕也氏が講演を行った。以下は講演内容の抄録。

1.はじめに

   弊社は今年で5期目となる。「Orphe(オルフェ)」というブランドの光る靴をはじめ、靴がスマートになることによって広がる様々なサービスを開発している。私は、大学院生の時にゼロからアウトプットするところまで一通りやるというような研究室で育てられた。そこで得た経験やノウハウが起業や今の製品作りに繋がっている。近年のブームによって、いわゆる「ハードウェアスタートアップ」と呼ばれる弊社のような少人数の小さな会社でも、メーカーのようにモノづくりをして製品化するという事が可能になった。経済という意味では完ぺきではないかも知れないが、弊社もこれまで上手く時流に乗って自分たちの作りたいものを会社という形で世の中に出すことできた。

   本日の前半では、光る靴「Orphe」について、これが製品化に至るまでの経緯を中心にご紹介したい。後半では、日本経済新聞の『情報銀行、歩き方もおカネに』という記事でも大きく取り上げて頂いたスマートフットウェア(「オルフェ トラック(ORPHE TRACK)」)について、現在進行形で三菱UFJ信託銀行と共同で進めている実証研究の内容を中心にご説明したいと思う。

2.光る靴「Orphe」について ~製品化に至るまでの経緯を中心に~

   光る靴「Orphe」は、世界で初めて「毎日同じ靴を履いていたとしても違う体験が出来る」というコンセプトを打ち出した。靴のソールには、フルカラーのLEDが入っているが、単に電気的に光っているわけではない。靴はスマートフォンにつながっており、色や光り方をプログラムによって制御することができる。靴の中にはセンサーも入っていて、足の動きに合わせて音を奏でる「楽器」のように使うこともできる。光や音の種類はスマートフォンからダウンロードすることが可能だ。

写真:Orphe(no new folk studio社提供)

<開発の経緯>
   私は首都大学東京の大学院修士課程の時に、ユーザーインターフェイスのデザインを扱う芸術工学系の研究室に所属しており、そこで初めて「電子楽器」を作るという経験をした。当初は「情報と人とがどのようにやり取りするか」、「情報をどのようにタンジブルにするか(触れるようにするか)」ということを研究テーマとしていた。研究の一環として、目が見えない人でも使える電子楽器、音が出ていることが触覚的にも理解できる楽器をデザインし、実際に制作することになったのだ。研究室の仲間と全くのゼロからアイディアを考え、筐体は3Dプリンターで自作し、中身の電子回路も自分たちの手で半田付けし、プログラミングや音の設定も自らで行い、最後は演奏も自分たちでする、といった経験をここで積んだ。

 私自身、音楽が好きであったこともあり、研究テーマはやがて「楽器というインターフェイス」へと変わっていった。博士課程の時に参加させてもらい、私が特に影響を受けたプロジェクトがある。それは「四季のハーモニーを飲む人たちで合奏できる」というコンセプトのサントリーウイスキー『響』のプロモーション活動である。ウイスキーグラスをスマート化することで、飲む人たちの動きに反応してバーの空間を変化させようという試みであった。グラスの中に小さいコンピューターやセンサーを入れた。人がグラスを持ったり、傾けたり、飲み始めたりすると、四季を感じさせるような映像や音がバーに鳴り響くという仕掛けであった。この「響グラス」は実際に製品化されることはなかったが、数々の広告賞を頂くことができた。

 

<気づき、そして「靴」へ>
   私がこのプロジェクトに関わる以前には、「楽器の演奏の仕方を直観的にわかりやすく伝えるにはどうしたらよいか」という事を課題として長らく考えてきた。しかしウイスキーグラスのプロジェクに関わることで視点が大きく変わった。なぜなら「響グラス」の演奏者たちは、私が何も言わなくても、私の意図した通りにグラスを演奏してくれたからである。ウイスキーグラスの中にウイスキーが入っていれば「こうやって飲む」ということは、既に皆が「知っていること」なので、私が教えたり伝えたりする必要はなかったのだ。皆にとって当たり前の「飲む」という行為に、「音楽演奏」というインタラクションをつけてあげることによって、全く何も意識しなくても演奏を楽しむことが出来るということに私は気付いた。

   ここでの体験により私は、今後、色々なモノがコンピューターに繋がっていく中で、既に持っているモノを表現のためのモノに変えることができるならば、たくさんの人に、音楽であったり、表現であったりという行為を楽しんでもらえるのではないかと考えるようになり、これが私自身の一つの研究テーマとなっていった。これを「日常的にやっていくという意味で一番適した題材だ」と閃いたモノ、辿り着いたモノが「靴」であったというわけである。元々タップダンスやフラメンコの世界では、靴が打楽器として使われている。そこから着想を得て、タップダンスを電子化するということを考え始めるようになった。初めは既存の靴の中に圧力センサーを入れて、足の動きに応じてドラムの音を出すというような試作品を作った。踏込んだ時だけではなく、足の空中での動きをも音に変換するための加速度センサーを使い音を変化させた。まだ起業前の大学院生だった頃の話だが、この試作品は、当時留学していたバルセロナのメディアに取り上げられ注目されるきっかけとなった。

 

<製品化へ>
   2014年頃には、研究という枠を超え、製品化したいと思うようになった。ちょうど当時は、IoTという言葉が流行り始め、ハードウェアを作るスタートアップ企業に投資をしても良いと考える投資家が増えた時期であった。その当時、幸運なことに「アバラボ(ABBALab)」というファンド代表の小笠原氏と出会い、500万円程度の出資を受けて起業することができた。創業メンバーは、研究室の同期が中心だが、デザインを専攻しているような研究仲間も加わった。

   201411月に、もう1つの幸運が重なった。月数万円払うだけで利用可能な「ディーエムエム・ドットメイク・アキバ(DMM.make AKIBA)」というファクトリー型のシェアスペースが秋葉原にできたのだ。ここには、回路設計を検証できるような機械や、電波暗室など、電子工作ができる様々な機材が揃っていた。スタートアップ企業が買うには高価すぎる機材を安価に利用できたことで、ハードウェアのプロトタイピングを効率的に行うことができた。秋葉原という立地は、靴作りの町として知られる浅草とも隣接していたことから、靴職人さんの下で実際の靴作りを学んだり、一緒にデザインを考えたりすることができた。そういった恵まれた環境の中で、徐々にアイディアを形にしていくことが出来た。

   2015年には、量産化のために「インディゴーゴー(Indiegogo)」というサイトにてクラウドファンディングを実施し、1200万円程度の資金を得た。34か国の人々から予約販売のような形で資金を出してもらうことで、量産化に成功した。価格は¥44,800(税込)と少し高めではあったが、完売することができた。

 

<成功要因>
   この時の成功要因は、ダンサーやアーティストのニーズに集中してモノづくりをやったことだと思う。彼らの側から「使いたい」という声が掛かるほど気に入ってもらうことができた。彼らが実際にショーなどで使っていただくことが広告になったので、我々自身ではほとんど広告費をかけていない。例えば「水曜日のカンパネラ」という人気アーティストが、テレビ番組の中で「シュウ・ウエムラさんとのイベントでOrpheを使いたい」と発言してくれたことの反響は大きかった。放送によって商品情報が広まった。また、人気アイドルグループAKB48のコンサートでOrpheを使って頂いたことも良い宣伝になった。この時は、16人同時に靴を履いてもらい、それらを無線で音楽に合わせて制御した。1足だけでは単なる光る靴に見えるが、16人で音楽に合わせると「演出」と言ってよいレベルのパフォーマンスができる。我々がこうしたアーティストのお手伝いをする中で、広告費をかけずに自然と商品の露出が増えていき、アーティストサイドから様々プロジェクトに誘ってもらえるような関係になっていった。

 

<特許も>
   日本、アメリカ、中国に関しては、既に国際特許を取得している。靴の中にセンサーを入れること自体や靴からデータを取るという事だけであれば、我々が創業する以前から他社もやっていた。我々のコアとなる特許の範囲は、靴の中にセンサーがあり、足の動きをセンシングし、その解析結果によって光り方や音が変化したり、解析結果を振動でフィードバックしたりといったような「インタラクションの部分での調整」である。今後は例えば、走り方のフォームが良ければ振動や光で教えてくれる、走り方が変わったら異なった色に光る、といった様な靴を作ろうと思っている。

3. ハードウェアスタートアップを取り巻く環境

<メーカーズムーブメント>
   日本にも様々なハードウェアスタートアップ企業が存在する。例えば、電動車いすを製造しているWHILL社はシリコンバレーを拠点に活躍しているし、Cerevo社はCES(コンシューマーエレクトロニクスの展示会)で毎年新しい製品を発表して存在感を発揮している。他にもスマートロックAkerunのPhotosynth社、電子見守りタグのMAMORIO社など、全体の数としてはまだ少ないが、こうして頑張っている人たちは日本にも実はたくさんいる。

   そうした背景の1つには、メーカーズムーブメントと言われるものがある。クリスアンダーソンの『メイカーズ』という本でも取り上げられ話題になったが、3Dプリントや3Dスキャンなどが一般的になってきたので、試作レベルであれば個人であっても手元で作れるようになった。モジュール化されて小さくなった電子回路を組み合わせるだけでも、かなり高度なモノを作ることが可能になった。もう1つの背景は、インターネットが「繋がった」ことだ。IT系のスタートアップもインターネットの登場によって成立したが、ハードウェア系のスタートアップは「モノとインターネット」が繋がることによって、付加価値を生む様々なサービスを考えられるようになった。

 

<モノづくりの障壁>
   一方で、ハードウェアスタートアップには限界があるのではないかとの見方もある。ピークは2013年〜14年頃だと言われていた。アメリカの例では、ジョウボーン(jawbone)というヘルスケア系の腕につけるデバイスを作っていた会社が、930ミリオンも投資を集めたが利益を出せずに失敗してしまった。最近の投資家は「失敗例が多数出てきて死屍累々だ」と見ているようだ。私の印象も同じで、やはりハードウェアという性質上、難しいなと思う点は多々ある。例えば、スタートアップ企業がやらねばならない事として「プロダクトマーケットフィット」という言葉がある。すなわちそれは「自分たちが作るプロダクトと、それを欲しがる人たちのマーケットとが両方成立した時にスタートアップは成長できる」という意味なのだが、実際ハードウェアを作ろうとした時に一番難しいのは「確実に需要のある質の高いモノ(ハードウェア)であれば、基本的には既に世の中に出回っている」ということだ。また法的な問題も障壁となる。モノをインターネットに繋げることで付加価値が出来るわけだが、それには電波法やPL法などクリアせねばならない課題がたくさんある。国ごとに一つ一つノウハウが違ったり、法律が違ったりもするので、それをスタートアップ企業の数名のメンバーでは対応しきれない。この障壁はかなり高いと実感しているところだ。

 さらにモノづくりの鉄則的な事だが、数が売れないと割高になってしまうということだ。しかし我々のようなスタートアップは、大きいメーカーのように元々需要が確実にある大きいマーケットには出ていけないので、どうしもニッチを狙うことになる。そうすると数を狙えないので割高になるというジレンマがある。そしてこれは最大のネックなのだ。つまり、スケールしてノウハウをたくさん蓄積できないとなると、「IoTではデータがたくさん集まることで付加価値が増す」というそもそもの論理が成り立たなくなってしまう。我々スタートアップが「靴100足を作って配ったところで、足のビッグデータとは言えない」、「ビッグデータがなければ、足の解析も出来ないのでサービスは成り立たない」といった、「鶏と卵」的な問題が起こりやすい。ここが今の最大の難点だ。

 

<スタートアップのメリット>
   障壁がある一方で、ハードスタートアップをやっていて有利だなと思う点もある。1つは、特に日本では、まだ競合が少ないという点だ。例えば「スマートフットウェア」を作っている企業は、「靴の中に中国製のGPSモジュールを少しだけカスタマイズして入れた」という程度の企業はいくつか存在するが、我々のように「ゼロから回路設計をして、靴のために最適化したデバイスを作っている」という競合はいない。つまり、同じ方向性の競合があまり存在しない点は有利だ。2つ目に、「モノは強い」と言う点だ。例えば、今日ご紹介しているこの「靴」という「モノ」は、一発で知ってもらうことができる。テレビに少し映っただけで「あ!あの靴見たよ!」と言ってもらえて、覚えてもらえるというのは本当に強みだと感じている。3点目に、やはり日本ではスタートアップの例が少ないという事とも相まって「モノづくりを頑張っている企業を応援したい」と言う空気がある点だ。日本は電機メーカーの数が多くノウハウが豊富なので、少なくとも世界の中で比べると日本のスタートアップはかなり有利な状況にあると感じている。

4. スマートフットウェアについて ~情報銀行とのコラボレーションを中心に~

   今、弊社が特に注力して進めているのがスマートフットウェア「オルフェ トラック(ORPHE TRACK)」である。スマートフットウェアとは、靴、インソール、靴ひもにセンサーやコンピューターを埋め込んだり取り付けたりした製品やサービスの総称である。

   ここまでのお話しで述べたように、私自身は「楽器」という観点から「靴」という事業領域に入っていったわけだが、靴業界やスポーツ業界の人たちは、「ヘルスケア」といった観点でスマートフットウェアに関心を寄せている。規模としてはまだ大きくはないが、年80%ほどの成長市場で2021年には1234ミリオンドルぐらいになるだろうと予測されている。現在は「スポーツフィットネス&ウェルネス」という領域がほとんどで、徐々に「見守り」とか、エンタープライズ領域での「作業員の行動ログや動線ログの取得」といった方向での利用が伸びるだろうと言われている。

 

<なぜ靴なのか>
   様々なコンピューターが「ウェアラブル」になってきているが、その中でなぜ「靴」に着目するのか。極端な話「ブローチで良いのではないか?」といった質問をよく受けるが、靴にはいくつか有利な点があると我々は考えている。1つは、「『身に着ける』という習慣が既にある」という点だ。これはとてもシンプルだが大事な視点だ。例えば、従業員に「データを取りたいので新しいモノを身に付けてください」とお願いしても、なかなか習慣が身につかずに止めてしまうということがよく起こる。この離脱率を減らすためには、これまで履いていた「安全靴」をスマートなものリプレースしてあげるのが一番良い方法だろう。また靴なら「着用感がない、肌に触れることがない」という点も「常に履き続ける」という観点では大変有利である。もう1つ、これは我々が最も注力している部分でもあるが、足の動きに関する解析に関しては、上半身にあるウェアラブルよりも「確実に精度が出せる」というメリットが「靴」にはあるからだ。我々以外にも例えば、アンダーアーマー(UNDER ARMOUR)というスポーツメーカーは、万歩計のような機能が付いたセンサーシューズを発売しているし、他もGPSモジュールが付いたインソールや靴を作っている企業はたくさんある。変わり種としては、寒冷地向けに温かくなるサーモスタット機能をインソールの中に入れた靴も発売されているし、靴の中に振動モジュールが入っており、地図のアプリを見なくても「振動で道案内をしてくれる」といったアイディアを売りにしている製品などもある。ナイキ(NIKE)は、履く人に合わせて靴紐が自動で閉まる機能を持った靴を出している。靴はあらゆる企業に今着目されている。

 

<スマートフットウェアの現在価値と将来性>
   スマートフットウェアにどれだけの価値があるのか。これは市場が決めることだとも言えるが、例えばアルトラ(ALTRA)と言うランニングシューズのメーカーでは、普通の靴が15,500円なのに対して、走り方の特徴が取れるようなモジュールを入れた靴には32,000円という2倍の値段をつけている。我々が見る限り部品に使われているチップ自体の価格はせいぜい1,000円程度のものだ。これぐらいの付加価値が成立するのならば、売る側にとっては製品を生みだす価値があるということだ。

   弊社では、様々な人とコラボしたり、世界の競合企業のやり方などを学習したりする中で色々な情報を得ているが、その中で1つ問題意識として感じていることがある。それは、今後は「移動」という意味では「歩く」という事はほとんど必要性がなくなるのではないかという事だ。自動運転、パーソナルモビリティ、VR、テレイグジスタンス(Telexistence)といったテクノロジーによって、家の前まで自動運転でパーソナルモビリティがやって来て、それに乗って目的地まで行くことが出来る時代が来るだろう。夜寝ている間に移動可能なサービスもが拡充されるだろう。つまり、歩くことは減っていく。だが一方で、「歩く」という事と「健康」とは、非常に相関が高いことも分かっている。だから国は「予防医療」という観点で今後はもっと「歩いてもらおう」と考えている。弊社では、このジレンマをスマートフットウェアで解決したいと考えている。「歩く」ことに価値付けしたり再発見したいと考えている。

 

<歩くことの価値>
   靴から得られた「データ」にどういう意味付けが出来るのか。実は世の中にはまだ規格が存在しない。各社が自主規格でバラバラにやっているために、溜まったデータには信頼性があるのか、他の人が参照できるのかと言った点などで何の保証もないのが現状となっている。きちんとしたオープン規格を整えてやる必要があるだろう。我々は、靴メーカーではないという強みがあるので、靴をスマートにする仕組みやセンサーデータにフォーカスして、これらが流通していく社会について考え始めている。それが「オルフェ トラック(ORPHE TRACK)」という新しい仕組みである。

 

<オルフェ トラック(ORPHE TRACK)とは>
   ORPHE TRACKは、今まさに開発中のスマートフットウェアのことで、2019年春の発売を予定している。土台となる靴のソール部分に弊社が独自に回路設計をしたセンサーモジュール「ORPHE CORE」が入っており、それを解析するAIを組み合わせてサービスとして提供している。この靴を履いて歩くだけで、自分がどれだけ「健康的に毎日歩いているか」を知ることができる。

   靴自体はシンプルな構造で、インソールを捲った所に穴が開いており、そこの穴にセンサーモジュールが差し込んである。このセンサーによって足の動きや着地の特徴を表す様々なデータ(着地の角度、加速度、角速度、速度、歩幅等)をリアルタイムで収集している。ユーザーは、スマートフォンのアプリケーションを使ってデータそのものを確認できるし、弊社独自のアルゴリズムで計算した「歩行年齢」や「健康指数」を知ることもできる。別のユーザーと垂直跳びの高さや足踏みの素早さを競うようなゲームを楽しむこともできる。

   データは、エッジ側(ユーザーの靴とスマートフォン)とクラウド側の両方で分析している。加速度センサーやジャイロセンサー等で集めたデータの全てをクラウド側にアップすると膨大な量になってしまうし、通信すればするほど電力を使ってしまうからだ。靴の中にも二次電池としてリチウムポリマー電池が入っている。出来る限りの処理はエッジ側で行い、必要なデータだけをクラウドに集約している。エッジ同士での通信は実用化していない。

 

<ランニングにおける着地法の定量化>
 我々は今、ランニング市場にフォーカスしている。実は、ランニングでの「着地法」が原因で、膝を痛めているランナーが3割もいると言われている。しかも、これまでの技術では、その人の「着地法」を定量的に分析しようとすると、モーションキャプチャーで角度や速度を測ったり、フォースプレートと言われる体重計で使われているようなセンサーを使って膝への衝撃を測る必要があり、それはかなり大がかりなシステムが必要であったため、一部のトップアスリートしか利用することができなかったのである。そこで、従来的な大がかりシステムによる計測値と、弊社の靴を起点にしたシンプルな仕組みでセンシングしたデータを比較検証したところ、歩幅や速度については96%、角度に関しては99%の相関を取ることができた。我々がこの市場に着目した背景はここにある。

 ORPHE TRACKは、普通のランニングシューズ+1万円くらいの価格での発売を予定している。基本的な機能は無料で使えるが、データをずっと保持したりといったニーズや、AIを使って自分のデータに基づいた指導をして欲しいといったサービスには、プレミアム課金をする予定でいる。

 

<情報銀行>
   ここまでご説明したように、「足」から得られるデータを活用したサービスの実現に向けて少しずつ進めいく中で、私はある情報を得た。国土交通省では、国民が一歩々歩く毎に、国の医療費が0.065円から0.072円ほど削減されという指標を発表している。これを単純計算すると、皆でいつもより毎日1500歩多く歩くならば、日本全体では4兆円ぐらい医療費が削減される事になる。この情報を得て、私は嬉しくなり「我々の靴を履いてもらえるだけで楽しく歩けるし、それを記録することが出来る。この記録は、日本に貢献したことの証しとなる。歩くことはコミュニティを活性化させる行為なのだから、ある種の資産と同じように最終的には通貨として運用できるはずだ」と言った内容の事を、あちらこちらでプレゼンして周っていたところ、運よく三菱UFJ 信託銀行の新規事業開発担当から声が掛かり、新しい「情報銀行」サービスの実証実験を一緒にさせて頂く運びとなった。

   情報銀行とは、パーソナルデータを預けて新しい価値に変えるプラットフォームの事である。GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)といった企業が、パーソナルデータを利用してもの凄い利益を上げている一方で、ユーザーは自分のパーソナルデータが誰に渡され、どのように利用され、どうやって収益が得られているかを知らされていないことに対して不信感を持つようになったという背景がある。それに対してヨーロッパでは、GDPR(一般データ保護規則)を作って個人データを保護しようという流れがある中で、日本としては、「GDPR寄り、且つ、反パブリック」な立ち位置の「情報銀行」サービスを立ち上げて個人データを守るべきではないかという機運が高まってきている。三菱UFJ信託銀行のサービスでは、情報を預けてもらって、ご本人が承諾した限りにおいて運用して、対価としての運用益のようなものをご本人に還元していこうという仕組みを考えている。

 弊社自身は、情報銀行自体を作っていくわけではないが、情報銀行というサービスとつながることで「歩いた証明によってリワードが得られる」という部分での実験に参加している。先ほどご紹介したORPHE TRACK のプラットフォームに対応した靴をアシックス社に1000足製造してもらい、1000人のデータを集めている最中である。足のデータは、三菱UFJ信託銀行以外の参加者、例えばNTTデータ社などと共同で解析を進めている。今後このような靴から得られる足のデータの流通の仕組みが実現すると、例えば健康データとして「保険」と連動していくとか、足の研究者や靴屋さんがデータを購入し、「自分たちが売った靴がどのように利用されているのか」、「どういう人たちが、どういう歩き方をしているのか」といったテーマについて効率的に研究できるようになり、更に次の新しいサービスに繋がっていくことだろう。

5. まとめ

   私は、本日お話しさせて頂いたように、当初は楽器というエンターテイメント、表現の世界に関心があってこの領域の研究をするようになったわけだが、弊社で提供している仕組みやノウハウは、ヘルスケアだけではなくスポーツにも応用できるだろうし、GPSと連動させるなどして高齢者や子供の見守りに利用することもできるなど、大変広がりのあるサービスであると考えている。表現というのは結局のところ「人を幸せにする」というのが1番の目的ではないかと思う。弊社の活動を通じて、人の靴をスマートにすることによって、皆を表現の世界に連れていき幸せにしたいというのが今の目標である。

(文責:吉田絵里香)